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法伝寺ブログ

お彼岸とは

お彼岸(ひがん)は太陽が真東からのぼり、真西に沈む春分の日と秋分の日の前後三日間の計七日間をいいます。春分および秋分の日は昼と夜の時間がほぼ同じになる一日でもあります。今春の春分の日は3月21日(火曜日)になります。

私たちのいる「この世」を「此岸」(しがん)といい、極楽浄土など亡くなった人々がいく「あの世」を「彼岸」と呼びます。お彼岸はあの世を想い、極楽にいけるように願う期間だといわれています。
私たちは生きていく中でのいろいろな人との別れを経験していきます。最終的な別れは、この世からあの世への別れとなるのでしょう。

一緒に遊んだ友だち、懐かしい知り合い、お世話になった人や身近な人、親や家族が旅立っていきます。そして、最後には自分自身があの世にいき、この世にいるすべての人たちとお別れをします。

人はもう会えない人を想うとき、いろいろな思い出や感情が浮かぶのではないでしょうか。自分と関わりが深ければ深いほど何度も思い出し、伝えたかった想いや後悔などが出てくるようです。

「時薬」(ときぐすり)という言葉があります。時を経るうちにゆっくりと心が癒されていくという意味です。別れの辛さも思い出したり人と話したりしていくことで心が穏やかになっていくように思います。親の思い出話しをするうちに子供の頃には気づけなかった親の気持ちや事情に気づき理解や感謝の気持ちが出てくるなどもあるでしょう。

墓参りや法要は亡き人と向き合う機会のひとつだと私は思います。お彼岸には、あの世にいる大切な人のことを思い出してみませんか。

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幸せを願う

私たちは人のことには気づけても自分のことには意外なほど気づけないことがあります。自分の背中を自分では見られないように、いま自分がどんな顔をしているのかということも自分ではわかりにくいことのひとつだと思います。
不意に映った写真や動画の自分の顔や姿に驚いたことはないでしょうか。私は地下鉄の窓に映っている自分の疲れて暗い表情を見てびっくりしたことがあります。

不安、心配、不満、怒り、かなしみ、虚しさといったものが私たちの顔を自然と暗くしてしまいます。暗く険しい顔をしている人のそばにいたい人は少ないものです。ずっと暗いままでいることで孤独に陥ってしまうこともあります。反対に明るく優しい顔の人の周りには自然と人が集まります。

若いときの顔は贈り物で、その後の顔は自分の責任などといわれています。怒り続けている人が眉間にしわを刻み厳しい目つきになるように、ほがらかで明るい人が優しい目元や口元を作っていくように、どう生きるかが自分の顔を作っていくのでしょう。
どんな生きかたをして、どんな顔になりたいでしょうか。生きかたというと大げさな感じがしてしまうかもしれません。まずは、いまの自分がどんな顔をしているのかに気づき、本当はどんな顔でいたいのかと考えるだけでもいいと思います。

自分ではない誰かの幸せを願うとき、人はとても柔和な顔をしています。「元気でいてくれますように」「幸せでありますように」と相手を想い心から願うとき、そこに暗い顔はありません。誰かの幸せを願うことで、穏やかで優しい気持ちになることもできます。深い問題を抱えていたとしても、しばらくは安らかな気持ちになれるのではないでしょうか。

小さなことかもしれませんが誰かの幸せを願うというようなことや自分が笑顔になれそうなことから積み重ねていきませんか。
新しい年が実り多く、ほがらかな顔でいっぱいの一年となりますように願っております。 

修行

お彼岸は春と秋の年2回の行事で、春分の日や秋分の日を中心とした前後3日の一週間の期間のことです
9月は秋彼岸の季節です

お彼岸の期間中は、あの世とこの世がとても近くなる時期と言われています
そのため、お彼岸には先祖供養や修行をするようになりました
彼岸法要に参加したり、お墓参りをしたりするのもそのひとつです

修行というと難しそうに感じるかもしれませんが、
意外と身近で出来るものも多くあります。
例えば、私たちがこの世で実践すべき修行として、「六波羅蜜」(ろくはらみつ)という修行があります
これは「布施」(ふせ)、「持戒」(じかい)、「忍辱」(にんにく)、「精進」(しょうじん)、「禅定」(ぜんじょう)、「智恵」(ちえ)と呼ばれる六つの仏教で修めるべき基本的な行いです

これらを現代風に意訳してみると次のようになります
「布施」とは、見返りを求めずに誰かに何かを与えて分かち合うことです
金品に限らず優しい言葉や笑顔や親切なども含まれます
「持戒」とは、ルールを守って自分を律して自分も他者も守ることです
大切なものを守ることにもなります
「忍辱」とは、嫌なことがあっても怒りなどの感情に耐えて受け止めていくことです
そうすることで適切な行いが出来るようになります
「精進」とは、努力して自分のペースで歩み続けることです
進み続けた先に自分だけの結果が得られるでしょう
「禅定」とは、自分自身の心を見つめ観察することです
心が落ち着き、答えが見つかりやすくなります
「智恵」とは、様々なことに気づき知ることです
そして実践することでもあります
不要なものを手放し、大きなものを得られるようになります

普段の生活の中でも出来そうなものもあると感じませんか
何か気になったものや自分のためになりそうだと思ったものがありましたら、
日々の中で心掛けてみてはどうでしょうか
    
今回は六波羅蜜を簡潔になるように表現しましたが、本来は奥が深くもっと多くの含みもあります
ご興味がありましたら、さらに詳しく調べてみるのも良いと思います


移り変わり

梅雨入りを迎えた途端に雨が続くようになりました。
季節の移り変わりは早いものです。
先日、檀家さんから昭和四十年代中頃のお寺の辺りの写真を見せて頂きました。

そこには昔のお寺の辺りや地元の子供たちの姿が生き生きと映っていました。
昭和四十四年に最寄り駅である行徳駅が開業したころは、
駅からお寺までが見えるほど家もまばらで、
周囲には小さな川がたくさんあったそうです。
米作りの後、冬には行徳の海で獲れる海苔を干したことなど、
地元をよく知る人ならではの話をたくさん聞くことが出来ました。

その後、行徳はのどかな町から首都圏への住宅地として開発され一気に変貌していきました。
これからも行徳は日々変わっていくことでしょう。
お寺の近くには大きな橋が架かる予定もあります。
人も風景も移り行き、写真の中や思い出の中に残っていくことでしょう。

長い歴史の中で、かつて法伝寺は津波被害もありました。
地震で本堂が倒壊したこともあります。
戦中や戦後も苦労があったと聞いています。
いろいろな変遷がありました。

そのような時には助け支えてくれた人々がいました。
私たちに生んでくれた親や育ててくれた人がいるように、
お寺にも代々、檀信徒の皆さまや協力してくれる人がいました。
過去の人々がいて現在があります。

その結果として、創建からずっと続くことが出来たのです。
過去の皆さまにも、いまの皆さまにも支えていただき本当に感謝しています。

これから時代がどのように変わり、何が起きるかはわかりません。
移り変わる時代の中で試行錯誤をしながらも何をどのように伝えていくかは、
いまの私たちが出来ることなのだと思います。

法然上人と熊谷直実

浄土宗の開祖、法然上人(ほうねんしょうにん)は浄土の教えを説かれました。
法然上人が生きていたのは、今ちょうど放送されている大河ドラマと同じ頃、
平安末期から鎌倉時代初期です。

法然上人の一生やその後について描かれた四十八巻伝(しじゅうはちかんでん)という絵巻物があります。
そこには源頼朝に従う御家人(ごけにん)の熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)や、
津戸三郎為守(つのとさぶろうためもり)が登場します。

熊谷直実は石橋山の戦いでは平家側でしたが、その後、源氏側となり活躍しました。
平家物語の有名な場面、平敦盛(たいらのあつもり)と一騎打ちをした武士です。
自分の罪深さに悩んでいた熊谷直実は法然上人に出会い、
その教えを聴いて涙を流して喜びました。
そして、その後は浄土の教えに帰依し信仰心の篤い生活を送るようになります。

この時代は戦が多く敵や味方に別れるような混乱の時代でした。
人々の生活は不安定で死が身近なものでした。
戦に出る武士も、翻弄される庶民も、貴族も儚さや苦悩を抱えていたことでしょう。
そのような時だからこそ、
生まれや身分の差、性別、学識、財力に関係なく往生できるという
法然上人の教えはたくさん人々の救いとなったことでしょう。

いつの時代も、誰にでも不安や悩みは尽きないものです。
私たち自身にも、その周りににも、世界にも、
いつ何が起こるかはわかりません。
そのような出来事が起きた時に、
支えてくれる人、安心できる言葉、信頼できるもの…、
救いや助けとなるものはとても大切です。

熊谷直実のように喜びとなるような出会いが増えていけば、
この世にはもっと幸せになっていくのではないでしょうか。