梅雨入りを迎えた途端に雨が続くようになりました。
季節の移り変わりは早いものです。
先日、檀家さんから昭和四十年代中頃のお寺の辺りの写真を見せて頂きました。
そこには昔のお寺の辺りや地元の子供たちの姿が生き生きと映っていました。
昭和四十四年に最寄り駅である行徳駅が開業したころは、
駅からお寺までが見えるほど家もまばらで、
周囲には小さな川がたくさんあったそうです。
米作りの後、冬には行徳の海で獲れる海苔を干したことなど、
地元をよく知る人ならではの話をたくさん聞くことが出来ました。
その後、行徳はのどかな町から首都圏への住宅地として開発され一気に変貌していきました。
これからも行徳は日々変わっていくことでしょう。
お寺の近くには大きな橋が架かる予定もあります。
人も風景も移り行き、写真の中や思い出の中に残っていくことでしょう。
長い歴史の中で、かつて法伝寺は津波被害もありました。
地震で本堂が倒壊したこともあります。
戦中や戦後も苦労があったと聞いています。
いろいろな変遷がありました。
そのような時には助け支えてくれた人々がいました。
私たちに生んでくれた親や育ててくれた人がいるように、
お寺にも代々、檀信徒の皆さまや協力してくれる人がいました。
過去の人々がいて現在があります。
その結果として、創建からずっと続くことが出来たのです。
過去の皆さまにも、いまの皆さまにも支えていただき本当に感謝しています。
これから時代がどのように変わり、何が起きるかはわかりません。
移り変わる時代の中で試行錯誤をしながらも何をどのように伝えていくかは、
いまの私たちが出来ることなのだと思います。
季節の移り変わりは早いものです。
先日、檀家さんから昭和四十年代中頃のお寺の辺りの写真を見せて頂きました。
そこには昔のお寺の辺りや地元の子供たちの姿が生き生きと映っていました。
昭和四十四年に最寄り駅である行徳駅が開業したころは、
駅からお寺までが見えるほど家もまばらで、
周囲には小さな川がたくさんあったそうです。
米作りの後、冬には行徳の海で獲れる海苔を干したことなど、
地元をよく知る人ならではの話をたくさん聞くことが出来ました。
その後、行徳はのどかな町から首都圏への住宅地として開発され一気に変貌していきました。
これからも行徳は日々変わっていくことでしょう。
お寺の近くには大きな橋が架かる予定もあります。
人も風景も移り行き、写真の中や思い出の中に残っていくことでしょう。
長い歴史の中で、かつて法伝寺は津波被害もありました。
地震で本堂が倒壊したこともあります。
戦中や戦後も苦労があったと聞いています。
いろいろな変遷がありました。
そのような時には助け支えてくれた人々がいました。
私たちに生んでくれた親や育ててくれた人がいるように、
お寺にも代々、檀信徒の皆さまや協力してくれる人がいました。
過去の人々がいて現在があります。
その結果として、創建からずっと続くことが出来たのです。
過去の皆さまにも、いまの皆さまにも支えていただき本当に感謝しています。
これから時代がどのように変わり、何が起きるかはわかりません。
移り変わる時代の中で試行錯誤をしながらも何をどのように伝えていくかは、
いまの私たちが出来ることなのだと思います。
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